私の不思議体験記
私の不思議体験記
第三話 真の愛深さを痛感した出来事(愛は時間を超越する)
私の人生を大きく変えた、たった10分の有念のおまじない
これは私の人生最大の汚点とも言える出来事でで、この体験を皆様に赤裸々に語る事は非常に抵抗がありました。
しかし、苦悩する皆さんを見まして、やはり真実を皆様にわかっていただくには、そして私のおまじないの真の極意を知っていただくのは、この私の体験談を話すしか無いと思い勇気をもって事実をお話します。
このお話に限らず、他の体験談も飾り無く、私の恥じを忍んで「皆さんの参考になれば」と思い赤裸々に語っています。何せ筆不精の私の事、文書表現力は非常に貧しいのですが、【すべて事実をお話しする】事を前提に、この私の体験談から決して誤解や批判を抱かないように願います。
この体験は、私が37歳の時の話です。今までHPに掲載した体験談の中で一番古いお話です。
この時期、私は易者をやっておりました。全国を回り、各地で易をしていく仕事です。
私は、直接その易者団体の会長から直々に指導を受ける、まあ最高の幸運とも言えるし、だからこそ最大の不孝とも言える関係で仕事を覚えました。
会長について全国を回り、この易の仕事を覚えていくうちに、そしてやっていくにつれ私はある強い疑問を持つ様になりました。
そこで、易が意外と当たらない、算木(さんぎ)や筮竹(ぜいちくと言い、易者が使う竹ひごのようなもの)を使えば相手が同一なのに結果が変わる・・(タロットやトランプ占いのようですね)。会長の言っている事とやっている事が違う。・・と言う事がひしひしわかってきたのです。
そこである日、私はここの脱会を意思表示しました。そうしたら、その会長が私を辞めさせないために「じゃ今までのこの分はどうするの・・」、「私が次の開催地の予約をしたので、次のこの開催費用はどうするの・・損害は大きいよ」などと、数百万円の支払いを求めてきました。
次の開催地を終われば、私は辞めることができると思っていたら、会長は私の意志を知りつつ必ずその間に次の開催地の段取りを行い私を永久に辞めさせられないようにしたのです。
たまりかねた私は警察に相談に行きました。そうしたら、刑事さんはそれを立証するには「あれがいるこれがいる」の一点張りでした。
その会長は、警察の犯罪の決め手となるものの存在を知ってか知らずか・・その証拠になる足跡を一切残していないのです。これには私も驚きました。本当に探しても徹底して無いのです。
そうこうしている間にも、仕事をやればやるほど売上以上に本部の権利金は重く、私の預金はみるみる間に無くなり、サラ金にまで返済計画の立たぬ借金までしなければ今日の生活費も無いような始末。生活は苦、仕事も苦、経済状態も最悪・・そんな状態で家内は私を見捨て、子供をつれて逃げる。持ち家は借金のかたに持ってかれる。親兄弟にまで借金と言う黒い十字架を負わせてしまいました。
そこで、更に持病の腰痛と胃痛と足の破傷風があったので、これがたまたま悪化してきまして、会長に「仕事が続けられないから休みをしばらくください」と悲痛のお願いで申し出ました。やめられないなら、中断しかないと思ったわけですね。
会長からなんとか興行の休みをもらったあと、家族の強い勧めで奈良県にありますあるお寺に「精神修行に行ってきなさい」と親に言われましたが、黒い十字架を親に背負わしてしまった為に逆らうことも出来ませんでした。
私は、寺は永平寺などと結構修行で行ったことがあったために、たかをくくっておりまして「これ以上に他の寺を回っても、私はこれ以上得る知識は無い」などと思い上がっていました。
ところがそこのお坊さんの説教の中に「自分とやくざの体験談」を赤裸々に語ってくださるお坊様がおりました。
その方のお話の中で「相手が投げたボールから逃げるうちは、相手が投げ続ける。その相手の投げたボールを拾って相手に返したときに全てが消える」と申されました。11年も前のことですが、この一言はまだ忘れません。
この話を最初聞いた時は本当に驚きました。何せ、自分の今置かれている状況とまるでそっくりだったからです。あまりにそっくりだったので、最初は、両親がそのお坊さんに何らかの裏工作して、そんな話をみんなの前でするように指図したのではないかと真剣に思いました。 しかし、そのお坊さんの話を聞いている内に、私との相違点が何点か見つけられたので、話を聞くうちに安堵していちいち両親を疑う自分の心の狭さに苦笑しました。
そのお説教が終わったとき、私の苦悩も何かぬぐいさってもらったようで、その感激のあまり、そのお坊さんと直接お話がしたくてしばらくストーカーを行いました。しかーし・・なんとそのお坊さんは、若いギャル沢山に囲まれて異様にもてもて・・・なんでこんなにもてるお坊さんがいるの?。その前のお坊さんとはどえらい違いでした。まあそんな訳で、私のストーカー行為は時間の無駄だけに終わって、サインひとつもらえませんでした。
同じ、お説教を受ける傍聴者にその人の事を聞いてみたら、不良少女をかなり沢山親身になって助けてきたりっぱな人だったそうです。
約10日間の修行を終えて私は、両親への関西土産を持って自宅へ帰りました。この時夜8時頃でした。すぐさま両親のところへ車に乗ってお土産を持っていこうとしました。そして実家に電話したら母親が「もうお父さんはお酒飲んで寝てしまったから、明日にしてね」と言われました。
しょうがないので、明日の朝、両親の所へ土産を持って行こうと思ってその日は寝ました。
次の日は疲れていたのに朝早く目覚めたので、モテモテのあの坊さんが言っていた「ボールを返すとは何のことかな」と真剣に考えて、これはひょっとしたら坊さんが良くする座禅の事かな・・と考えました。
座禅は無念無想。何も考えても思ってもいけないのですが、家も財産も家族も全て失って、さらに悪魔のような会長からの縁も切れないので、こんな状態で無念無想になどなれるはずがありません。
そこで私は座禅をして、瞑目している状態を自分なりにやってみた時、なぜかしら私の中に激しい怒りの感情がドーンと込み上げてきました。
あのお坊様は「すべての人間は、大いなる生命によって決定され人生を必要なままに作られている」と言っていた言葉からです。
では何故・・「その大生命と言うのが人の一切の人との縁を作っているのなら、何故私の前にあんな汚い悪魔のような会長をあらわして、私 の全財産や家や家族を全てとりあげてしまうのか」と感情的になって強く念じてしまったのです。
もう自分は全て失ってかなりヤケになっていましたので、かなり執拗に念じました。そしたら目の前の真っ暗闇のはるか上のほうから光の筋が差し込んだと思った瞬間に声がどこからか聞こえました。
「あなたの願望ですよ・・・」たった一言だったのですが・・
この時はお恥ずかしい事ながら、かなりヤケになっていたので不思議な声が聞こえた奇跡的な出来事よりも、自分の怒りが先行してしまい 「私の願望?冗談じゃない・・なんでこんな悪魔のような人が私の願望なんだ」などとその言葉に対して激しく怒りの文句を投げつけました。
そうしたら今度は瞑目した私の目の前に、私が易者になる前の過去の情景が目の前にスライドショーのように見えたのです。無論、瞑想中ですよ。
その頃の私は「なるべく楽な仕事でお金が沢山稼げるのがいいな。それに私は旅行が好きだから全国を旅して回れるような仕事がいいな。 それから私は人と話をするのが苦手だけど、そういうコンサルタントのような仕事が楽に稼げそうでいいな。」などと、そういう傲慢で虫のいい仕事への強い願望をもっていました。この時の事を思い出した・・と言うよりも、目の前に映し出された様な感じでした。
つまり私の願望そのものがその会長の姿だったのです。指摘された言葉の通りであったのです。
「貴方の願望の姿はこういう人なんだよ。貴方が一番嫌っている人ではないですか。貴方の願望を成就するとこんな人になるのですよ。貴方は本当にこんなのに期待するのですか?」と私に教えてくれた様でした。
あの時のお坊さんの言葉に「いつでも貴方の心の状態を貴方の前に現しますよ」と言います。
私の前に現れたのは、私の心の醜さが、いかに人に嫌われるものかを教えてくださっていたのです。
自分ではこの時間、一時間半ー二時間くらい経った・・と思っていましたが時計を見ると座禅を始めてから約10分くらいしか経っていませんでした。これもなんとも不思議な体験でした。
座禅の極意は無念無想が基本ですが、この時私がした座禅の異色型、この有念有想の座禅が私の有念のおまじないのルーツになったのです。
これでこの話は終わるかの様に思えたのですが、さらに不思議なことが起きたのはこの約30分後位の事です。
私が昨日は実家にいけなかったので、関西土産を両親の所へ今から持っていこうと、自宅の戸締りをして車にのって家を出ました。
実家への道のりは、自宅から約三通りのコースがあります。
しばらく車を走らせていたら、前から見覚えのある車が・・・!!
会長です。信じられない。会長の自宅とこの場所とは、車で4時間はかかる場所です。
もし、親父が昨日お酒を飲んでいなかったら、私は今日は違うところへ行っていました。
それに実家に行く道は3本あるし、車同士の事だから、ほんの数秒の時間差でも私は会長と会わないでしょう。
それになんで、座禅で会長に感謝できた直後にここにいるんだ・・と不思議な縁が働いているので「これはおおいなる生命が勇気を持って会長と会って話をしなさい」と言っているんだな・・と瞬間的に思いました。
あまりの驚きで震え上がり、一時逃げようとも考えましたが、あまりの奇跡的な出来事だけに「ここはあの声の指図どおりにしよう」と腹をきめ車を道端に止めて車を降りました。手も足も震えます。
ここで会長と話をした内容は、以外にも会長が私の事を誤解してとらえていたことでした。「祈願料をお客様ががお前に支払ったと言っているのに、お前からはそんな売上の報告を受けていない」と言う事でした。
私が身の潔白を証明するために、近くのスーパーまで二人で移動して、その店内の電話を借りて、そのお客様に会長と一緒に電話をしたところ、お客様の心変わりで体裁を作るために「私に銀行振り込みで支払った」と苦し紛れの言い逃れをしていたのです。会長は「横領」として私の事を思っていた訳ですね。
この誤解が簡単に解けて、さらに仕事道具の返却をしたことと、私の辞意を信じられないほどあっさり認めてくれました。会長との話し合いは約50分位でけりがついてしまったのです。あんなに執拗な会長があまりにあっさりと引き下がってしまったので、これは私のほうがかえって唖然としました。
それでこれはやはり有念有想の座禅のせいだと確信したのです。しかし、私が座禅をしたのが30分前で今、会長との奇遇の出会い。
会長はその場所を通りかかるのに自宅から4時間はかかりますから、私が座禅で会長に懺悔と感謝をする以前から、会長は私と和解する為に出発していたことになるのです。つまり、これは時間を超越していることになりますね。
その時の私のたった10分間の座禅(今は有念のおまじない)は、易から抜けられない私の人生を大きく変えてしまったのです。