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私の不思議体験記

第一話 死に掛けた私・・・

私は、もともとは工学系の人間で、幼少の頃から何かを発明するのが三度の飯より大好きでした。
学生当時よりマイクロコンピュータをいじくり回す事が好きで、この頃、たくさんのオリジナル作品を作り上げました。その関係でコンピューター企業や出版社関係と深く付き合うこととなり、雑誌の連載から著書の発行まで至りました。著書は全部で35冊、連載誌は3誌となりました。

これらは全部パソコン関係の工学書であります。
その他では、体験記に協力して日本の心霊スポットなどにも掲載されています。

私は間違っても、神だとか、霊魂だとか、幽霊だとか目に見えないものは絶対に信じる事は無かったのですが、26才の時、十和田湖の「お百度参り」の実体験で実際に自分自身で経験してからというもの、180度転換で見えない不思議な存在を信じるようになりました。
そんなきっかけから、私はその事実を悩める人に伝えて救えないものかと思いました。
これが私のカウンセラーとしてのスタートとなったのです。

しかし、知識は得ても実際には、とても難しいのです。知識と体験と実社会の現状の相違です。

私は、この時病気で大変苦しんでいました。
病院に行っても治りません。胃を切るだとか、人工脊髄を入れる大手術になるとかで、七年間は苦しみました。

手術の度にもの凄く痛い思いして悪くなる一方の病状。
毎日何時でも襲ってくる死ぬほどのたうちまわるほど苦痛を伴う病気。

仕事はもちろんできない体。仕事できないので底をつく生活費。それに幻滅し、離縁して逃げる女房と子供。まさに私にとって地獄そのものでした。
その時私の病状は、三つもありました。

ぎっくり腰をしてからずっとひどい腰痛がありました。その激痛、夜はまず熟睡できません。寝返りのたびに激痛を伴うからです。そして体調が更に悪い日は、座ることはもちろん・・立ち上がる事すらできなくなります。

二つ目は、胃潰瘍。最初は神経性のものからくる軽いものでしたが、最初は空腹になると痛む位でしたが・・すぐに時間にかかわらず頻繁に激痛に襲われるように変わりました。これってもがき苦しむほどの激痛を伴います。今でも、その痛みは思い出すだけで冷や汗ものです。

三つ目は深爪です。これだけは外傷です。左足の親指でした。
ある日、ちょっときつめの靴を履いたあと山登りの過酷な運動をしたために、爪が足の親指の先の肉に食いついて切れてしまったんです。これから私の苦痛が始まります。

肉と肉の間の切れた部分が時間が経つと傷口がふさがります。するとそこに爪が成長してきて、また肉と肉とを切りながら成長し分離します。当然ここで、爪の成長と傷口が塞がる悪循環がおこって化膿してきます。
野外に靴を履いて出た日には、帰ったら出血した血が靴底に固まって靴にはりついてしまい靴が脱げません。それを無理やりはがすとまたその傷口が開きます。状態は悪化する一方、ときどき膿を抜きに病院に手術に行かなくてはなりませんでした。最後には破傷風になりかけていました。

この三つの病状、どれ一つでも激痛を伴っていて、仕事もできないし、生活もどん底でしたのでこの頃何度自殺をしようと思った事か。この気持ちがわかりますでしょうか。

私が山梨県のある会社にいた頃の話です。
私が落ちぶれていた頃の話ですので、この会社の、寮制に入っていました。この学校の職員の休みは月に4日位しかありません。
私は、この会社が休みの日も、生徒さん皆が使った長靴を一人で洗ったり、トイレの掃除を一人でしてたり、花をいけたり、畑で野良仕事の手伝いをしてたりと、 そんな驚異的な存在の事務の女性職員の事が気になり始めました。鈴木さん28歳です。さらにこの人ってとっても美人さんだったのですね。

私が来た時は、事務所にいた美人さんだったので、軽い事務仕事しかしない箱入り娘さんだと正直思っておりました。
しかし、この人は滅多に無い休みの日まで、みんなが遊んだり寝ているときでも休み無く奉仕していたのです。
この女性の存在、この人の行動には、自分の事も手に負えない状況の私には恥ずかしい程に頭が下がりました。

特に今までの私は自立するのに必死だったために、金になる仕事しかしないと言うハングリーな奴でした。
それが金のためではなく、自分の休みをつぶしてまでもみんなの為に奉仕する無我の愛を持ったこの女性の姿は私には衝撃的過ぎてまぶしすぎました。w(°o°;)w

この鈴木さんを見ているうちに、私は自分が大変恥ずかしく思えてきました。
今の自分は、病気でこの学校に世話になっているだけで、病気で何もできない、また何もしたくありませんでした。自分の病気と苦痛だけで頭がいっぱいでした。

ある日、私はちょっと気まぐれを起こして、困っている人の為にちょっとした電気関係の修理をしてあげたのです。
そうしたら・・大した事は全然していないのに、その人は大変笑顔で喜んで下さったのです。私にはこれがとても意外でした。
この無償で助けてあげた人の笑顔がそれ以来私の頭の中で太陽のように思えました。これは私にとって無上の喜びでした。愛の心を持たない私に、この時無我の愛の心が芽生えたのです。
それは、無償で人の為に働く愛の心だったのです。

ある日の午後です。いつもながらに私が胃炎の苦痛で苦しんでいたらどこからか声が聞こえました。
「お前は何をしたいのだ・・」と言われました。私はこうに答えました。
すかさず私は「私は、こんな体で仕事もできないし、もう死ぬかも知れない。だけど人の為に役に立ちたいんです。」って答えました。
それ以来声は聞こえなくなりました。シーンと静まりかえっていたので、この時は気のせいだったのかな?と思っておりました。

このあとしばらく意識できなかったのですけど、大変不思議な事に気づきました。あまりに普通の事だったので、自分自身で気がつくのが遅くなっていたのです。
いつもは、胃の苦痛と極度の腰痛で、起きてから何かを掴み体を押し上げる様に起き上がるのに約40分位、朝のトイレや洗面、食事を済ますだけで、ほぼ毎日10時半位にはなっていました。
その日異変に気付いたのは、いつもどおりに食事を済ませて一休みした時に時計を何気なく見たらなんと7時半でした。驚いて何故そうなったのか深く考え出したら、前日まで重病で苦悩する自分が思い出されたのです。
この声が聞こえた翌日に、私が完全な健康体になっていたのです。9年間も苦悩してきた難病がたった一晩で悪夢のように覚めてしまったのです。

破傷風を起こしていた外傷は眼で見て確認できたので、完全に傷口はふさがっていました。当時は、また再発するのでは・・の恐怖感があったのでまざまざ直視して観察できませんでした。
しかし手術の後だけは、しっかり消えずに残っていました。

私は大いなる生命に助けられて、今、生きているのは、その時の約束を果たすためなのだと本気で今でも思っています。
だから、私は、その日の境地を時々思い出しては、また再度自分が傲慢になって同じ過ちを繰り返さないように自己啓発しています。【初心忘れるべからず】ですね。

私は、今でも【自分はあの時の約束で生かされている。だからこそ私は人を助けることを忘れてはいけないんだ】といつもいつも忘れぬようにしています。
その約束は今でも私のポリシーであり、コンセプトとしております。
できる限り、私の体験や知識がみなさんのお役にたてれば幸いです。